天野敦之 Atsushi Amano

​一橋大学在学中に、半年の勉強で財務諸表論で全国トップになり、一年の勉強で超難関と言われる第二次試験に合格。
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア株式会社)時代に25歳の若さで37万部ベストセラー作家となる。
その後、野村證券株式会社にてM&A・証券化等の投資銀行業務に7年間従事。
個人的に友人にはじめたコンサルティング業務をきっかけに、講演・コンサルティング依頼が増え、2009年1月に独立。
現在は、「人を幸せにする会社」を創ること、幸せに働き生きる人たちを増やすことをミッションとして、経営コンサルティング、エクセレント・ビジネス・プロデューサー養成、ファシリテーション、会計リテラシー教育、瞑想指導、等に従事。

主な著書に、
日本で一番売れている会計入門書37万部ロングセラー 『会計のことが面白いほどわかる本』(中経出版)を始め、
『価値を創造する会計』(PHP研究所)、 『君を幸せにする会社』(日本実業出版社)
『みんなが幸せになる「お金」と「経済」の話』(すばる舎)、『宇宙とつながる働き方』(総合法令)
『宇宙を感じて仕事をしよう』(サンマーク出版)
『The spiritual way of business - in harmony with cosmos -』(『宇宙を感じて仕事をしよう』英訳版)

最新刊『会計の神さまが教えてくれたお金のルール』(日本実業出版社)
などがある。

 

詳しいプロフィールはページ下部にあります。

 

​さらに詳しい赤裸々のライフストーリーはこちら。​
 

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山本愛子

1988年生まれ。
宮城大学 事業構想学部 卒業。

大学卒業後、コンサルティング会社で
システムの営業として働きながら、
年間200冊近い読書をする、猛烈な働き方をしていた。

何かに追われるような不足感や不安感が拭えず、
いろいろな手段で埋めようとするも、
心からの楽しさを感じられない日々。

その中で、2011年2月、現在の夫、天野敦之を知り、
4月のセミナーで初めて会い、
5月末にスカウトを受け、一緒に働くことに。

働いている中で、共感と共鳴が起こり、
感情的になる出来事が多発。

感情を味わうこと、感情の浄化を実践
することで、体当たりながらもだんだんと
ストレスが減っていき、心も体も身軽に
なっていくのを実感。

なりたい自分、
実現したかったことが次々に叶い、
また、そのうちの多くをすでに
持っていたことに気づく。

現在は子育てと仕事を両立しながら、
新しい女性の働き方を体現している。

会社案内

社名:   人を幸せにする会社総合研究所株式会社
所在地:  〒105-0013 東京都港区浜松町2丁目2番15号 浜松町ダイヤビル2F

電話:   03-6899-3078
創業:   2011年5月2日
資本金:  1,000万円
代表者:  代表取締役社長 山本敦之(天野敦之)

 

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天野敦之の詳しいプロフィール

1975年埼玉県浦和市(現さいたま市)に生まれる。
父は、祖母が立ち上げた会社で役員を務め、母は同社の経理全般を担当。スーパーマーケットを5店舗、健康センター、不動産、保険、幼稚園など複数事業を行う中小企業で、両親は超多忙。
そのため、0~3歳の最も母親の愛情を必要とする時期に親戚や知人に預けられ、寂しい想いを抱えて過ごす。
今でも、寂しくて泣いているのに周りに誰もいない、という光景を思い出す。
この幼少期の体験から、孤独感や無価値感、いつか人は自分の元を去っていき独りぼっちになるのではないか、という思い込みが形成された。
(このトラウマは2012年になって結婚、行徳哲男先生のBE研修、両親との和解、澤智みかさんのヒーリングセッション、水響絵美子さんのセッション、過去との統合ワーク等を通じて癒される)

浦和市立西浦和小学校に入学。
小学4年生まで、人見知りで無口で泣き虫で、勉強も大してできず運動嫌い、格好のいじめのターゲットだった。
陰湿ないじめではなかったものの、学校の先生も見て見ぬふりをし、一人で寂しく過ごしていた。
小学5年生になり、転機が訪れる。
担任の佐藤健一先生に、浦和市の陸上大会に出るように薦められ、放課後毎日練習をした結果、少しずつ運動神経が開花。
小学6年生のときの陸上大会で、ハードル走で浦和市で優勝すると、自信がつき、勉強もできるようになり、いじめられなくなった。
このときの経験が、すべての人に無限の可能性があるという今の考え方につながっている一方、成果を出さなければ愛されないという思い込みにもつながった。
(このトラウマも上記と同様、現在ではほぼ解消されている)

浦和市立田島中学校に入学。
市内で最も荒れていた、他校の生徒が怖れるヤンキー中学。
授業中に生徒が校庭をバイクで走り回り、窓ガラスは割れ、中学3年生のときは自分以外の男子生徒全員が煙草を吸っていた。
しかし級友とはそれなりに仲良く過ごし、ヤンキーの人たちも実は心が純粋であることを学んだ。

埼玉県立浦和高等学校に入学。
文武両道を謳う学校で、体育の時間が週に五日(毎日)あり、5月に新入生歓迎マラソンがあるため、体育の時間はひたすら走る。
それが終わると5月に屋外プール。7月の海での2キロ遠泳のため、5月の寒風の中ひたすら泳ぎ、入学前は25メートル泳げなかったのに500メートル泳げるようになり、無事2キロ遠泳も成功。
秋には浦和から茨城県古河市まで52キロを走る古河マラソンがあり、またひたすら走る。1年生のときは途中で歩いてしまい、2年生のときは52キロ歩かず走り切り達成感を味わう。3年生のときは途中で歩いてしまい悔しい想いを残す。
バレーボール部に入部するも、顧問の先生が大酒飲みで、酔っ払って暴力をふるう。自分はバレーボールが好きでもないのに、退部するのも逃げるような気がしてダラダラと続けてしまった。レギュラーにもなれず、本気でやるわけでもなく、そんな自分を最近まで赦せなかった。
この経験が、本気で生きていない人を赦せない感情を生み出した。
(このトラウマも上記と同様、現在ではほぼ解消されている)

高校では文系か理系か最後まで決められず、高校3年生の夏まで世界史・日本史・地理、代数幾何・微分積分、物理・化学・生物・地学を学ぶ。
社会の様々な問題にも関心があり、どうすれば世の中をもっと良くできるかを考えるなかで、理系で研究者になったり、政治家になったり、NPOに行ったりするよりも、ビジネスが変われば世界が変わるのではないか、と思い商学部を選択。夏に部活引退後、猛勉強し無事合格できた。

1994年一橋大学商学部に入学。
1年生の同じクラスで超天才、藤沢烈に出会い、頭の回転の速さでは絶対に敵わないと痛感。
テニスサークルにも入るが、友人に誘われたアイセックという国際的な学生団体の活動が面白く、1年生の後半から2年生にかけてはアイセックに注力。そこでも経営や経済を真剣に議論できる友人たちに出会う。当時のアイセックの自己紹介文で、将来の夢として「人を幸せにする会社を創る」と書いた。
3年生になり、卒業後の進路を考える中で、自分は頭の回転では天才に敵わないと思い、専門知識を身に付けようと決意。ビジネスの専門知識といえば会計士だろうという安易な発想と、当時は会計が苦手だったこともあり、資格の学校TACに通う。
しかし会計士になりたいわけではなかったので、試験勉強だけしていたら馬鹿になると思い、大学内でもかなりハードな一條和生先生のゼミに所属。競争戦略論や知識創造企業などについて学ぶ。そこでも知的好奇心を刺激されるクリエイティブな友人と出会う。
ゼミの活動も続けつつ、試験勉強を一日14時間くらいし、3年生の秋のTAC主催全国模試で、財務諸表論で全国1位になる。周りの受験生は3~5年計画で合格しようと考える中で、自分は会計士になりたいわけではなかったので、1回受けてダメだったら止めるつもりで臨む。無事4年生の夏に一発合格。
試験後、会社の新卒採用がほとんど終了していることに気付く。監査法人の面接も受けるが、面接官の覇気の無さに愕然とし、内定を辞退。当時通年採用していたアンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)から内定をいただく。

アイセックの活動で海外の学生との交流も増え、海外の学生がダンスができるのを見て羨ましくなり、試験勉強中に社会人が主宰する社交ダンスサークルに通う。
そこで出会った8歳年上の女性と、会計士試験前後から付き合い始め、4年生の2月に婚約、卒業の一週間後に入籍する。

アンダーセン・コンサルティングには1998年5月に入社。配属はプロセス・コンピテンシー・グループで、入社後すぐにプログラミング(C言語)を学ぶ。
最初のプロジェクトは、特殊法人にERPを導入するプロジェクト。野心的なプロジェクトであったが、プロジェクトの基本方針が途中で何度も変更になり、設計の変更が相次ぎ膨大な修正が発生する典型的な失敗プロジェクトになる。
プログラミングは嫌いではなかったが、同期にプログラミングの天才がいて、とても敵わないと痛感。
当時はネットバブル最盛期で、自分も友人が立ち上げたベンチャーを転職も視野に支援していたが、ろくにビジネスモデルも事業計画も出来ていないのに適当にバリュエーションし5億円の出資が決まる現場に立ち会い、異常なバブルっぷりを感じて手を引く。
アクセンチュアでは同僚に会計の勉強会なども開催していたが、分かり易い会計の入門書が無いと感じていた。その頃、『経済のニュースが面白いほどわかる本』が100万部突破し、書店で立ち読みして、このスタイルで会計の本を書いたら分かり易いのではと思い立つ。
仕事の合間に書き始めると、思いのほか良い本になる。出版を企図していたわけではなかったが、ホームページにアップして中経出版に連絡したみたところ、常務取締役編集部長の方から連絡があり、とんとん拍子に出版が決まる。2001年、25歳のときに処女作『会計のことが面白いほどわかる本』を出版したところ、大手書店で続々ベスト10入りし、会計の入門書として異例のベストセラーになる。
また当時アンダーセン・コンサルティングは朝日監査法人(現あずさ監査法人)と提携関係にあったため、年に一度監査のお手伝いをすることで実務経験を積んだ証明書を出していただき、2001年に公認会計士第3次試験を受験、無事合格。

アクセンチュアでプログラミングや業務プロセス改善の仕事に限界を感じる中で、当時の上司が野村證券に転職。その上司から声をかけられ、野村證券で面接を受けてみると、M&Aの仕事に興味が湧き、2001年7月に転職。

野村證券では、M&Aの中でも特殊な案件を取り扱うIBコンサルティング部に所属。
最初の案件は、大手商社の上場子会社の完全子会社化。数百億円、数千億円単位のお金が動く仕事にやりがいとプレッシャーを感じる。
世界初となる特殊なスキームを用いたクロスボーダーM&Aなど数々の案件を担当し、プロジェクト中は深夜2時、3時まで連日激務が続く。
仕事自体はエキサイティングであったものの、些細なミスを罵倒され、また会社がモノのように売り買いされる世界に違和感を覚えつつ、その違和感には蓋をして激務を続ける。
あるとき同僚が会社に来なくなり、しばらくして自ら命を絶ってしまう。それもショックだったが、葬儀の翌日からまた何事も無かったかのように仕事が進んでいくことが衝撃であり、このような事件が起こるのも無理はないなと感じている自分がいた。
一日に一度も笑わない日が続き、心身ともにボロボロになる中で、健康に良いことをしようと、会社のすぐ隣にあるスポーツクラブでヨガのクラスに参加する。
1年ほど続け身体をほぐしていく過程で、幸せは自分の内側にあること、ビジネスとは人を幸せにしその対価として利益を得ること、などの気付きを得る。(この辺りは拙著『宇宙を感じて仕事をしよう』に詳述)
ヨガは5000年の歴史を持つ叡智の塊であり、ヨガをはじめとして様々な哲学や宗教を学び、いずれも突き詰めれば同じことを言っていて、それはビジネスでも通じる真理であることに気付く。

社内では、直属の上司が異動になり、新しい上司の元でさらに特殊なスキームを開発していった。
それは巧妙に自分たちの利益を増やすスキームであり、相手から奪うことで自分たちの利益を増やすWin-Loseの世界への違和感が益々強まっていった。
ちょうどその頃、大学時代に影響を受けた超天才、藤沢烈と再会する。彼は当時、日本にソニーやホンダのような会社を100社創ることを目的に起業支援のスキームを手掛けており、社内の仕事に忙殺され視野が狭くなっていた自分に気付かされる。
そこで野村證券の中で、法人のお客さまに喜んでもらうため、金融と関係の無いことも含めて提案することを始める。
この試みは非常に楽しく、お客さまから信頼も得られるようになってきたが、上司から反対され、対立を招く。上司からは「人を幸せにしたかったらNPOに行け」「辛いことをやっているから給料がもらえるんだ、楽しいことをして給料をもらおうと思うな」と言われ、最終的にはM&Aの仕事を外され部署を異動させられる。

異動後は、地域の金融機関に対して金融商品を提案する仕事を担当する。
単に金融商品を売るのはつまらないため、ここでもお客さまに喜んでもらうため、地域金融機関が生き残るためには地域の中小企業の経営を支援することが大切であり、どうすれば銀行がそうした経営支援をできるかを、頼まれもしないのに提案していた。
この活動は残念ながら成果には結びつかなかったものの、銀行員が経営支援するためにはどうしたらいいかを深く考えたことが今の仕事に結び付いている。
また異動後は、朝7時に出社する代わりに夜は比較的早く帰れるようになり、社外で活動する時間を取れるようになる。
本を書いていたりメルマガなどを発行したりしていて共感できる人たちにアポを取り、インタビューに行き始める。そのとき福島正伸さん、本間正人さん、鶴岡秀子さん、マツダミヒロさん、小田真嘉さんなど、今でも親交のある人たちに出会う。
福島正伸さんのセミナーに初めて参加し、自分の考え方は間違っていないことを実感。セミナーを通じ、プレゼンテーションは説明や説得ではなく、感動と共感であることを学ぶ。
また起業した友人の相談に乗るなかで、ヨガの叡智などを元にアドバイスすると業績が改善し、経営支援の面白さを実感する。

そうした中、友人から異業種交流会で20分程度のスピーチをしてほしいとの依頼を受ける。
当時の自分は人前で話すことがひどく苦手で、極度に緊張し手足は震え頭が真っ白になってしまう体質だったのだが、福島さんの教えを実践する機会と考え受諾。
懸命に資料を作り込み、何度も練習をして、スピーチで「ビジネスで大切なのは愛と感謝だ」と自分の想いをぶつけたところ、参加者の皆さんが大変感動してくれて、握手を求められたり、泣いてしまう人もいた。野村證券では経験したことのない、誰かに心から喜んでもらえ感謝され自分も幸せになるという体験を味わった。
自分の想いを伝える機会を増やしていきたいと思いつつ、野村證券では副業が禁止されており、かと言って無料ではやりたくないと思っていたところ、友人がチベットの子供たちに小学校宿舎を寄贈するプロジェクトをしていたため、そのサポートとしてチャリティセミナー形式で何度か開催した。
副業禁止規定には抵触していないと思っていたが、ホームページなどで情報発信をしていたことが人事部に見つかりお咎めを受ける。
窮屈を感じるなかで、アクセンチュア時代の上司に、駅の構内やバーゲン会場など立て続けに3回遭遇し、その縁で2008年初めにアクセンチュアに復帰。今度はプログラミングではなく戦略を担当することになる。

アクセンチュアでは副業が禁止されていなかったことから社外の活動も積極化させていく。
セミナーに参加してくれた出版社の編集者から提案を受け、『価値を創造する会計』『君を幸せにする会社』を出版。出版をきっかけに社外の仕事が急増していく。
一方アクセンチュア社内では、企業の業務改善・コスト削減の仕事を担当し、エキサイティングではあるものの短期間での成果を求められ、クライアントから十分な信頼が得られず失敗することもあった。

2008年10月に岩手で講演した際、たくさんの方に喜んでいただき、講演後に花巻温泉に浸かりながら自分が本当にやりたいことは何かを考えた。
アクセンチュアは魅力的な会社で給料も高く、また呼び戻してくれた上司への恩も返せていなかったが、「明日死んだとしても後悔しないかどうか」を考え、悩んだ挙句独立を決意。
事業計画もなく、何とかなるだろうという根拠の無い自信とともに、2009年1月に公認会計士天野敦之事務所として独立する。

公認会計士事務所と言いながら、会計の仕事はほとんどせず、セミナー、研修、個別相談がメイン。
最初は銀座のワンルームマンションで細々と活動しつつ、2009年には『みんなが幸せになるお金と経済の話』『宇宙とつながる働き方』を出版。2009年秋には初の6回連続講座を開催。
2010年初頭には資金繰りの危機を味わう。このままいけば預金残高がゼロになる恐怖を味わい、固定費削減のため麻布十番のレンタルオフィスへ移転。そこから覚悟を決め、ビジネスモデルを変更すると、半年講座に多くの方が参加してくださり、講演やコンサルティング案件も増える。資金繰りも改善し、2010年秋にはレジディアタワー麻布十番に移転。
2010年末に、講座受講生の高木重利と税理士法人設立の話が立ち上がり、2011年4月に高木重利・天野敦之税理士法人を設立。
また2011年には『宇宙を感じて仕事をしよう』を出版。同著は2012年に英訳され世界中で読まれている。
2011年5月には個人事業を法人化して天野敦之事務所株式会社を設立。7月に竹田愛子が入社し、8月にはレジディアタワー麻布十番20階に移転。
非常に多忙な日々が続き、分単位のスケジュールで土日も休みがなく、それでも充実した毎日を過ごしていたが、お客さまへのフォローが手薄になってクレームをいただくこともあり、心身ともに疲弊し始める。そのとき竹田から「本当に楽しいの?」と聞かれ、楽しいことは楽しいが本当に楽しいと即答できず、せっかく独立したのに本当に楽しいことをできていないのはおかしいと思い、9月に「人を幸せにする会社」コミュニティを解散し、それまで順調に伸びてきた半年講座をすべて休止。
2012年に入り、宇宙と調和する無為自然のビジネス講座、ファシリテーター養成講座を開催する。これもまた順調に伸び、また多忙な日々が始まる。
そんな中、プライベートでは、2011年に13年連れ添った前妻と1年別居の後に離婚。それまで蓄積してきた高級家具や高級ワインなどもすべて手放す。それらを手放しても幸福度には何ら影響が無いことに気付く。また天野姓は前妻の実家に養子縁組した際の姓であったため、戸籍上は元の姓である「山本」に戻る。
2012年6月に、最愛のパートナーである竹田愛子と結婚する。妻が妊娠していたことから、生まれ故郷であり両親の住む浦和に自宅を引越し、同時に麻布十番の事務所を閉じて戸田の税理士法人と一体化する。
2012年6月に二人目の社員が入社。9月には三人目の社員が入社。
2012年8月の瞑想会をきっかけに、メインの事業であった講座やセミナーをすべて休止し、8月~10月の3ヶ月間、「何もしない」「ただ在る」を実践する。社員に給与を払い続けながら、メインの事業をすべて手放して収入を大幅に減らすというのは、常識的に考えれば有り得ない経営判断であったが、何もしないことの焦りや、仕事をしていないことから生じる自分の無価値感と向き合いつつ、宇宙を信頼して、何もせずゆったりと本を読んだり散歩したりしながら、出産前の夫婦二人の時間を過ごす。
2012年11月に無事第一子を出産。11月は妻が実家の仙台に帰っていたため、東京と仙台を往復する日々を送り、12月から家族3人の生活がスタートする。
何もしない3ヶ月が過ぎると、宇宙に導かれるように新しい仕事が次々と舞い込む。フォーチュン500の外資系企業の役員に対するエグゼクティブ・コーチングの依頼をいただき、さらに業界最大手の某社の改革プロジェクトや、事業再生の依頼もいただく。特に事業再生案件は、経営戦略策定、事業の選択と集中、人事組織改革、意識風土改革、マーケティング・販促・ビジネスモデル改革、会計制度改革、オペレーション改革などフルコミットが必要であり、8月にメインの事業を手放していなければ依頼があっても受けられなかった。結果的に完璧なタイミングで手放していたことになる。
2013年2月11日、社名を人を幸せにする会社総合研究所に変更。自らのミッションである「人を幸せにする会社を創る」ことを社名として掲げる。
2013年8月には、税理士資格を返上し、高木重利・天野敦之税理士法人を解散。事務所を港区南青山に移転。四人目の社員が入社。
事業再生案件が完了した後、そのまま事業再生の仕事を続けるべきか、ビジネスを通じて社員を幸せにしたい、世の中をより良くしたいという経営者を支援していきたいのか、を社内で議論した結果、後者の道を進むべきと考え、ビジネスモデルの転換を図る。これにより収益が一時的に激減する。
2014年1月に、手狭になった南青山の事務所から、千代田区六番町に事務所を移転。
2014年2月11日、意識の目覚めやビジネスとスピリチュアリティの統合をテーマとするAwakening Tokyoをオープン。
しかし実態としては、移転や新事業スタートによる出費と、ビジネスモデルの転換に伴う収入の激減、そして3名の社員が収益を稼げるまで育成できていなかったことから、個人的に借金をして社員の給与を払うという厳しい状況が続く。
財務状況を社員にオープンにしていたことから、社員の側から、これ以上自分たちに給与を払い続けたら会社が存続できないと提言され、苦渋の決断ながら、社員3名は独立・転職することとなる。
その後、自分が大好きな、尊敬できる素晴らしい経営者の方々が次々と顧問先となり、「人を幸せにする会社」や「幸せに働く人」を増やすため、組織開発コンサルティング、リーダー育成、エグゼクティブ・コーチング等が事業の柱となる。
2014年9月に一週間の「美しく健康になるデトックス断食」を体験。7日目の最終日に意識が覚醒する。
2015年1月に第二子を出産。2月は一切仕事をせず、その後半年間は10-15時の時短勤務で、家事育児を中心とした生活を送る。その後、上記の社会問題を根本的に解決する社会変革事業の立ち上げに注力。人生をかけて取り組み、一定の成果を出すも、止むを得ない事情により距離を置くことに。 そこから再度ビジネスモデルを転換し、現在はお金、健康美、スピリチュアリティを統合し、経営コンサルティング、瞑想指導、「お金のマスター認定講師」養成、資産形成など複数の事業を営んでいる。

​より詳しいリアルで赤裸々なライフストーリーについては、以下のブログで80回シリーズで公開中。

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日々実践していること

1. 美味しいものを美味しく食べる。
2. 美しいものを愛でる。
3. 好きな人とだけいる。
4. 先延ばししない。すぐやる。
5. 嫌なことは断る。やらざるを得ないときは楽しむ。
6. テレビは見ない。Facebookもあまり見ない。
7. 薬はなるべく飲まず、病院もなるべく行かない。
8. 呼吸をゆっくり深くして、日々瞑想する。
9. 定期的にデトックスする。
10. 選択に意識的になり、怖れではなく愛を選択する。
11. 人を責めず、自分を責めない。
12. 過去を悔やまず、未来を思い煩わない。
13. 自分の内面を丁寧に観察する。
14. 深刻にならず、真剣にやる。
15. 手を抜かずに、力を抜く。
16. 疲れたら休む。よく寝る。
17. 考えるべきことは熟考し、すぐに忘れる。
18. 地球とつながり、宇宙とつながる。
19. 人を愛そのもの、光そのものとして見る。
20. ご先祖さまに感謝し、世界の平和を祈る。
21. 家族との時間を最優先にし、愛と感謝を伝える。

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